Roger Giffin

英国人であるロジャー・ギフィンはイギリスおよびアメリカで多彩な経歴を持つ人物であるが、
彼の仕事は正確にして緻密、オリジナルギターの製作のみならず修理の腕にも定評があり、長年に渡り多くのビッグネームを支えてきた。

ロンドン出身。幼少時にエルビス・プレスリーの影響を受けてギターに興味を覚えたロジャー・ギフィンは
ハイティーンの頃本格的にギターを弾き始め、
欲しいギターが高額で手に入れられなかったことから
、ウッドワーカーだった父親の影響もありギターを自作する。
'60年代から'70年代に渡り幾つかのバンドにギタープレイヤーとして参加し、
ロンドンを中心にイギリス南海岸、後にはヨーロッパ各国でも活動するようになる。
この間、彼が使用した自作ギターが口コミで評判となり、
カスタムギターの製作や改造・修理の依頼が舞い込むようになる。


そして'79年にGiffin Guitarsを設立。ギターワークショップとしての本格的な業務を開始。
当時の工房はロンドン市内のテムズ川に架かる橋の下にあり、
エリック・クラプトン、ピート・タウンゼント、ジョン・エントウッスル、マーク・ノップラー、アンディー・サマーズ、デヴィッド・ギルモア等々、
多くのビッグネームを常連とする穴場的存在となる。
ハイクォリティでありながらリーズナブルなサービスを提供し、
数々のカスタムギターがこのワークショップで製作された。

この頃、マイク・ラザフォード(Genesis)から
「スタインバーガーの角張ったボディにそのまま取付けられる普通のボディの形をした枠を作れないか」
という相談を受け、試行錯誤するも結局は新しいボディそのものを製作しスタインバーガーのコンポーネンツを移植する。
この楽器がスタインバーガー社の創設者であるネッド・スタインバーガーの目に留まり、
新しいモデルの開発への協力を依頼される。
スタインバーガーMシリーズの開発はマイク・ラザフォードのリクエストに応えたロジャー・ギフィンのアイデアに端を発しており、
ギフィンの名前は開発参加者としてクレジットされることになる。
'80年代初期、エリック・クラプトンから老朽化したブラッキーの代わりとなるストラトキャスターの製作を依頼される。
ギフィンはクラプトンからブラッキーを預かり、ボディカラー以外は完全に同じであるコピーを2本製作する。
フェンダー社からクラプトンのシグネーチャーモデルが発売される以前のことである。
1本はブルー、もう1本はグリーンのボディで、これらはクラプトンの'85年のワールドツアーで使用された。
その後ブルーボディのストラトキャスターは'99年ロサンゼルスで行われたのクラプトン・ギター・オークションで売却されるが、
この時このギターに$42,000の値段が付いた。
ロジャー・ギフィンと地元ロンドンのビッグネームとの交流は他にも多くの逸話を残しているが、
同時にネッド・スタインバーガーやリック・ターナーなどアメリカのギター製作者とも積極的に交流を進める

そしてスタインバーガー社がギブソン社の傘下となった後、
ギブソン社社長ヘンリー・ジャスコヴィッツから直々にギブソン社での要職をオファーされ、
'88年にGiffin Guitarsとしての活動を一旦休止しアメリカへ移住。
当時ロサンゼルスに在ったギブソン・ウエストコースト・カスタムショップで、
同社を退職するリック・ターナーと入れ替わりカスタムオーダーの製作や修理を幅広く担当する。
エディー・ヴァン・ヘイレン、ジョー・ウォルシュ、ピーター・フランプトン、
ジミー・ペイジ、マルコム・ヤングなどがギフィンの顧客となり、
同僚のジーン・ベーカーと共に'93年12月にギブソン社が全てのオペレーションを本拠地ナッシュビルに集約するまで、ギブソン社に籍を置いた。

ウエストコースト・カスタムショップの移転に伴い、
当然ながらロジャー・ギフィンに対しギブソン社からはナッシュビル本社への異動が提示されたが、
ロジャー・ギフィン自身は引き続きカリフォルニアでの活動を希望しギブソン社を退社。
大手メーカーでの仕事とは一線を喫した独立を意識し、
Giffin Guitarsとしてのギター製作の再開を視野に入れ、ハリウッドにリペアショップR&B Instrument Servicesを設立し、
地元LAのプレイヤー達に引き続き質の高いサービスを提供する。
その後、'97年の1年間をスウェーデンで過ごしたロジャー・ギフィンは'98年にカリフォルニアへ再移住。
ロサンゼルス郊外ウエストヒルズにGiffin Guitars U. S. A.として新たに工房を構え、
ロンドン時代と同様に丁寧な仕事をリーズナブルな価格で提供し、地元LAを中心に多くのプレイヤー達を支えている。

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